昨日書いた記事についてなんだが
北風と太陽の例えってあの使い方でいいのか?
冷静に考えるとなにか違う気がする。
北風と太陽ってそろって
旅人に嫌がらせをしたわけです。
太陽は優しく旅人に優しくした結果
旅人はコートを脱いだという新聞社の理論は
そもそも成り立たない。
北風がコートを力づくで脱がそうとしたのに
大して太陽はコートの存在意義そのものをなくした
というのが正しいと思う。
これを北朝鮮の核問題に置き換えると
北風のやり方は、無理矢理核を没収するという理論
それに対して太陽というのは、何か?
北朝鮮に核が必要ないということにするには
どうすればいいかと考えると敵をいない状態にすればいいということ
これがどういうことかというと北朝鮮の性格的に
全ての国は北朝鮮にひれふせといった感じになるのではないだろうか?
この最中で朝鮮学校無償化を解除することは、太陽の政策になるかといえば
間違いなくノーだとおもいます。
聞こえはいいかもしれないが太陽の政策と真顔で言われたら
無視するのが一番いいです。
その手のことに国益になるものなんてないと思うから。
北風と太陽の例えってあの使い方でいいのか?
冷静に考えるとなにか違う気がする。
北風と太陽ってそろって
旅人に嫌がらせをしたわけです。
太陽は優しく旅人に優しくした結果
旅人はコートを脱いだという新聞社の理論は
そもそも成り立たない。
北風がコートを力づくで脱がそうとしたのに
大して太陽はコートの存在意義そのものをなくした
というのが正しいと思う。
これを北朝鮮の核問題に置き換えると
北風のやり方は、無理矢理核を没収するという理論
それに対して太陽というのは、何か?
北朝鮮に核が必要ないということにするには
どうすればいいかと考えると敵をいない状態にすればいいということ
これがどういうことかというと北朝鮮の性格的に
全ての国は北朝鮮にひれふせといった感じになるのではないだろうか?
この最中で朝鮮学校無償化を解除することは、太陽の政策になるかといえば
間違いなくノーだとおもいます。
聞こえはいいかもしれないが太陽の政策と真顔で言われたら
無視するのが一番いいです。
その手のことに国益になるものなんてないと思うから。
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